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キユウの見聞録

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薩摩藩上屋敷の跡にて


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西郷どんでお馴染みの旧薩摩藩上屋敷の跡に行きました。なんと現在NEC本社の場所だったんですね。知りませんでした。

江戸時代、ここに薩摩の西郷さんも来ていたかと思うと感慨深いですね。なぜここにと疑問に思いませんか。当時、ここ港区三田は海沿いで蔵屋敷、つまり、倉庫も持っていたんだそうです。物流の交易に優れていたんですね。

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西郷隆盛・勝海舟会見の碑です。

当時、海舟は池上本門寺に設けられた本営に西郷を訪れ、翌日ここで会談したそうです。

これで江戸は無血開城でしたが、北へ官軍は行進するので虚しいです。



# by Q1022 | 2018-04-15 19:11 | 歴史

小峰城にて

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これは奥州白河の小峰城(コミネジョウ)です。結城親朝(ユウキチカトモ)が小峰ケ岡に城を構えたのが始めと言われています。
その後、1627年に初代白河藩主となった丹羽長重(ニワナガシゲ)が大改修を行い、現代につながる白河のまちの基礎ができあがりました。城オタクの長重らしく、奥州の押さえとしての石垣を多用した悌郭式(ていかくしき)はしご状に郭が設けられてる平山城として同年に完成しました。
因みに安土城の石垣は長重の父長秀(ナガヒデ)によるものです。納得ですね。
東日本大震災で石垣の一部が崩壊しましたが、通路の階段を残し回復してました。

あの寛政の改革で有名な城主松平定信(マツダイラサダノブ)公ですが、あまりにもこちらばかりが有名なのは残念です。
# by Q1022 | 2017-09-19 17:43

世田谷城と豪徳寺にて

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世田谷城は14世紀後半吉良治家氏が居住したのが始まりだそうです。吉良氏は15世紀後半に関東が乱れると関東官領の上杉氏に関与、小田原北条氏(吉良氏は北条氏)と婚姻関係を結ぶ。
豊臣秀吉が小田原攻略により廃城となりました。江戸城の一部の石垣はここから移設したそうです。
うーん。 戦国時代は先行きわかりません。

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ここ世田谷郷土資料館、昔代官屋敷敷地内にあります。この近辺にある豪徳寺は井伊家の菩提寺です。日本史上有名な幕末の大老井伊直弼(いい なおすけ)は、戦国の女城主井伊直虎(いい なおとら)の子孫となります。
直虎が頼った徳川家康は、直虎が連れて来た虎松(直政)を気にかけ、その上重用して行きます。ここで家康の保護を得た井伊家から250年後の幕末に大老井伊直弼が登場することになるわけですから歴史の面白さが凝縮したような話です。

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この豪徳寺、鷹狩の帰りに通りかかった彦根藩井伊直孝(井伊直政の次男)に対して、和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。諸説ありますが、これが招き猫発祥の由来だそうです。
# by Q1022 | 2017-07-25 19:15

茶屋坂と爺々が茶屋の跡

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江戸時代末期の浮世絵師、歌川広重が描いた絵「目黒爺々が茶屋」です。

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当時、この辺、徳川3代将軍家光は、目黒での鷹狩りの帰りにしばしばこの付近にあった茶屋に寄って休息をとったところです。そこでの、逸話が”目黒のさんま”を生むきっかけとなったそうです。それにしても時代の変遷に驚きですね。
# by Q1022 | 2016-09-24 12:39
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足利学校の創健につては諸説ありますが歴史が明らかになるのは、室町時代、上杉憲実(のりざね)により、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、学長制度を設けるなどして学校を再興したころだそうです。この学校には、吉田松陰、東郷平八郎、渋沢栄一、乃木希典、嘉納治五郎などそうそうたる人が訪れてます。

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有座の器(ゆうざのき)真ん中で傾いている器に水を注ぎますと段々と器が真っすぐに立ち上がり、ところが次第に水を入れ過ぎると水が零れます。これは孔子の教え中庸を学ぶことを教えていることだそうです。なんでも過度にやりすぎると摩擦がおきるということですね。
# by Q1022 | 2016-09-05 21:31

by Q1022